祝子川とその流域の豊かな自然環境という素晴らしいキャンバスを与えられた、私たちのこの新しい蔵。美味しい焼酎造りについて語りかけ、大切な「モノづくりのこころ」を感じ取らせてくれる、言いかえれば焼酎蔵という創造力のミュージアムです。
自然と地域、人ともの造りの心、そしてアートする空間。すべてが一体化して美しく機能する焼酎造りをお目にかけます。佐藤焼酎製造場の「創造する現場力」を一度ご体感くださいますよう、心よりお待ちいたします。 私たちの蔵は機能強化を続けて行きますが、これから先もこれまで同様、清流祝子川のそばから離れるつもりはありません。
焼酎蔵を包み込む豊かな自然そのものが美術館だと感じられるこの地域から。

佐藤焼酎の生い立ち

佐藤焼酎製造場のある宮崎県北では、少なくとも百八十年も前から焼酎造りが行われていたといわれます。村議であった初代佐藤松太郎が酒造免許を受けたのが明治38年9月でした。この頃の焼酎は木桶で仕込まれ、「カブト釜」式蒸留器で造られています。松太郎が「鹿印」という名の焼酎を祝子川のたもとで造り始めたのが佐藤焼酎製造場の起源です。

明治から大正、そして昭和へと時代は移りますが、時の社会情勢の中、焼酎造りには苦労が絶えず、困難な経営を強いられました。三代目の秀十郎は食糧難のために一時休業を余儀なくしましたが、昭和23年には蔵を建て替え、生産体制を整えた佐藤焼酎製造場は、芋・麦・米の焼酎生産に力を注ぎます。

昭和、平成の本格焼酎ブームにも「美味しい焼酎」だけを目指す姿勢に変わりはありません。新技術の導入、絶え間ない試行錯誤の連続の中に、初代松太郎が始めた、「本物の焼酎造り」の意思は確実に引き継がれ、今に至ります。

本物の価値を追求

私どもの蔵は明治38年の創業から100年という長い年月をかけて、焼酎造りに励んできました。そして、その伝統と現在の蔵人の高い意識と技術が絡み合い、活気に満ちた焼酎造りを続けています。一過性のブームに踊らされることなく、焼酎蔵として実現すべき本物の価値を、より広い視野から追求し、更に社会に向けて発信していこうと考えます。
次の100年に向けて、それが焼酎文化の、ひいては焼酎を取り巻く社会全体の発展に貢献することになると信じているからです。

企業理念

共生の考え方を人と人、人と会社との関係に生かしながら、新たな時代の「蔵のあるべき姿」を考えると、新しい道が見えてきます。
佐藤焼酎製造場は、単なる焼酎の「製造工場」ではなく焼酎を中心とするあらゆる営みを取り込んで、人と人が豊かに関わり合って生きる「潤いの場」となることを目指しています。
人や地域と密接になるかかわり合い、連携を強化することを重要とし、質と安全を保つ自給自足スタイルの輪郭をさらに広げた「自創自園」の考え方を進めます。

「自創・自園」を目指して

共生の考え方を人と人、人と会社との関係に生かしながら、新たな時代の「蔵のあるべき姿」を考えると、新しい道が見えてきます。
佐藤焼酎製造場は、単なる焼酎の「製造工場」ではなく焼酎を中心とするあらゆる営みを取り込んで、人と人が豊かに関わり合って生きる「潤いの場」となることを目指しています。
人や地域と密接になるかかわり合い、連携を強化することを重要とし、質と安全を保つ自給自足スタイルの輪郭をさらに広げた「自創自園」の考え方を進めます。

杜氏紹介

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杜氏 水江 順治


蔵の伝統である手仕事は守らなければなりません。 その手仕事の優れた点は、多くの場合には地域を含む自然が色濃くあらわれること、そしてきわめて丁寧な造り方がなされることです。
手仕事に見られる蔵の空気には自由なものづくりとそれに伴う責任、そして新しいものを創る活気、仕事に対する悦びが満ちあふれています。
蔵の歴史を明日へ推し進めるとき、固有な美しさを守り、さらに高めることこそ私たちの務めであり、これを正しく伝承することは大切なことだと思います。
自然の恵みを得て自然とともに生きることが当たり前のように、伝統の心を守り、そして育て、誕生させ、毎日の焼酎造りに関われる幸せを胸に一歩ずつその歩みを進めてまいります。