松永酒造場
松永酒造場について
松永酒造場は、鹿児島からおよそ南に400㎞ほど離れた奄美群島の一つである徳之島の南に位置する、長寿の町で知られる伊仙町にある黒糖焼酎の酒蔵です。
創業は、太平洋戦争後、米軍政下にあった奄美群島の日本復帰を 1 年後に控えた昭和 27 年。初代松永清が、港町「鹿浦」に酒造場を開きました。妻のタケ子が杜氏を務め、銘柄は鹿浦に因み「まる鹿」と名付けられました。
東京に出店するなど精力的に商いを続けていた昭和 38 年、タケ子が急遽し、娘の玲子が跡を継ぎ二代目杜氏に。
昭和40年に徳之島の5つの酒蔵が共同瓶詰め会社を設立し統一銘柄となったことを機に販売中止へ。それから、半世紀の時を経て、令和2年12月、三代目松永晶子が先祖から受け継いできた熱い想いを胸に「マルシカ」を復活させました。
奄美群島では酒造りはもともと女性たちの仕事でした。「杜氏」の語源は酒造りをはじめ家事全てを司る女性を指す「刀自」といわれ、その精神は妻を表す「トゥジ」という島の方言に今も息づいています。
初代杜氏タケ子に始まり、二代目の玲子、三代目の晶子と、この蔵では代々娘が杜氏を継いできました。酒造りは子育てと同じ、「熱を出したら冷ましてやり、寒くなったら温めてやる。」女性の細やかな造りは脈々と受け継がれ優しい味わいを醸し出しています。
マルシカについて
代々の女性杜氏が造りと向き合い、丁寧に醸してきた技術を受け継ぐ、味わいと香りのバランスが非常に優れた黒糖焼酎。原料の米と黒糖から香味成分を最大限に引き出す蒸留法により、豊かな香りと深い味わい、優しい口当たりの良さが魅力的です。マルシカをベースにした徳之島の農産物(無農薬シークニン・無農薬グァバ茶)のリキュールは、徳之島のティダ(太陽)と大地を思わせる味わいで特に女性におすすめです。
杜氏紹介
杜氏
松永 晶子
令和2年12月、三代目松永晶子は先祖から受け継いできた想いを胸に「マルシカ」を復活させました。
三代目晶子は、平成3年に東京農業大学醸造学科を卒業。卒業を控えた年に父仁(ひとし)が他界し、卒業と同時に母と2人で蔵に立ちます。その母二代目杜氏玲子も平成15年に他界。両親から受け継いだ想いは半世紀の時を経て、ニライカナイ(奄美地方で海の向こうにある神様・ご先祖様がいるという世界)からの贈り物として「マルシカ」を復活させました。
杜氏
松永 晶子
令和2年12月、三代目松永晶子は先祖から受け継いできた想いを胸に「マルシカ」を復活させました。
三代目晶子は、平成3年に東京農業大学醸造学科を卒業。卒業を控えた年に父仁(ひとし)が他界し、卒業と同時に母と2人で蔵に立ちます。その母二代目杜氏玲子も平成15年に他界。両親から受け継いだ想いは半世紀の時を経て、ニライカナイ(奄美地方で海の向こうにある神様・ご先祖様がいるという世界)からの贈り物として「マルシカ」を復活させました。